
====プロローグ====
「ママ、ありがと〜〜」
栞の、少しアニメっぽい声が響く。
7月半ばの島崎家の夕食のことである。
今まで、夏休みに一人で旅行したいと言っていた栞と、
それを阻止しようとする父親との間で、激しい論争が繰り広げられていたのだ。
そんな中、母親の『いってらっしゃい』という一言で、この論争にあっけなくピリオドが打たれた。
この島崎家では、母親が一番強いのだ。
そんな母親に気をよくしたのか、栞は立ちあがって母親に抱きつくと、
それまで反対していた父親をギッと睨みつけた。
娘の栞のことは、目に入れても痛くないという親バカの父親は、
ちょっとおびえているようだ。
「ところで栞、行き先はどこ?」
栞の腕をはがしつつ、母親が尋ねる。
「ええと、ちょっと待ってて。」
リビングから駆け出した栞は、2階の自分の部屋に戻ると、机の右側においてある
デスクトップ型のパソコンのスイッチを入れた。
メールボックスの中をさがして、目的のメールが見つかったのか、
パソコンをスタンバイ状態にせずにリビング戻ってきた。
「ええとね、熊本の天草ってとこだよ」
戻ってすぐに口を開いた栞の言葉を聞いたとたん、父親の眉がピクっと上がった。
「天草?ダメだ。絶対に。どうしてもだ」
心配から言っているのか分からないこの父親の意見は、
やはり母親の一言に黙らされた。
「私は、いいって言ったんです。いいじゃありませんか。
それとも、何か、あなたは問題でもあると?」
黙った父親を見た栞は、再び母親に抱きついた。
「ママ、本当にありがとう。ママが理解してくれて、わたしはうれしい」
今まで旅行したいなどと言わなかった栞が、ここまでして行きたい理由は何なのか。
それを聞いたならば、母親も反対したかも知れないが、
舞上がる栞に何も言えず、こうして月日は流れたのだった。
====その1====
「ぷは〜、やっぱり天草は南国だねぇ」
白めの麦藁帽子に白いワンピース、そして白いバッグに白い靴と、白ずくめのこの少女。
7月30日の5時の便で天草空港に着いた栞である。
栞は、広島県の廿日市市に住んでおり、そこから電車と新幹線、
それにプロペラ機を使ってここまで来たのだ。
天草空港のターミナルの1階に降りた栞は、迎えに来てくれているはずの人を探した。
身長が166cmもあり、ロングヘアで可愛い栞は、遠くからでも結構目立つ存在だ。
そのはずなのに、だれも栞に話しかけようとしない。
教室が縦に2〜3個ほどくっついたような広さの天草空港のターミナルは、
すぐに一周できてしまう。
それでも話しかけられない栞は、しょうがないので外に出ようと自動ドアへと足を進めた。
自動ドアから出ると、かなりの熱気で栞がかけているめがねが一瞬曇ってしまった。
なので、前からきた男の子に気づくはずもなく・・・当然ぶつかった。
というか、男の子の方の前方不注意のような感じである。
「ご、ごめんなさい、わたし、メガネが曇っちゃって・・・」
鼻の頭をなでている栞は、男の子に向かってそう声をかけた。
男の子の方も、一瞬頭を下げかけたが、栞の顔を見たとたん、
急に栞の手を引っ張って駆け出した。
「な、な、な、なんなんです!?」
とつぜんの状況に理解できない栞は、男の子の手を振り切ろうとした。
だが、その男の子こそが、実は迎えに来てくれた人であると聞いたとたんにおとなしくなってしまった。
「ごめんな。つい、時間に遅れてよ」
そんな、ぶっきらぼうなしゃべり方をするこの男の子は、身長が栞より10cm以上低いのに、
実は同じ高校1年なのだという。
そして、ネットで「天草+α」なるHPを開いている管理者の1人で柊奈央(ひいらぎ なお)。
女の子っぽい名前だが、れっきとした男の子だ。
奈央達と知り合ったのは、
中学校の総合的な学習でたまたま「天草」について調べることになった栞が、
偶然にも同じ歳の人がやっているこのサイトに来たことが、ことの始まりだった。
それからというもの、栞は学校のお昼休みなどを利用して、
このサイトで色々遊んだり、チャットをしたり、ついには、
奈央達と遊ぶためだけにパソコンやネットの接続を親にしてもらったのだ。
そんな中、進学して、高校生になった栞の元に、柊達からメールが届いた。
夏休みにこちらで遊びませんか?という。
その話に乗った栞が、ようやく親の了承を得て天草に来たわけである。
奈央は、栞をワゴン車の後ろに乗せると、発車した車の中で、
運転している奈央の兄を紹介してくれた。
車の中でいろんな話しをした後、栞が今日泊まるホテルへと向かった。
ビアナインという、中学校の近くにある天草で一番高い建物だ。
そこで、部屋に荷物を置いた後、再び車に乗りこみ、別の場所へと行った。
そこは、やまと屋と言って、建物の日本家屋から推測される通り、日本料理を出すところである。
2階の小部屋に栞たちが行ったときには、もうすでに3人が座って待っていた。
栞がどこの席に座ろうかと迷っていると、一人の男の子が席を立って栞を手招きした。
身長は大体栞よりも5cmほど高く、結構栞好みの顔をしている。
「やあ、栞ちゃん。ようこそ天草へ。僕は、鈴木佳樹(すずき よしき)。よろしく」
そう言って近づき、握手を求めてきたのは、これまたHP「天草+α」の管理者の1人。
「ど、どうも。島崎栞です。よろしく」
あまりこういったことになれていない栞が手を差し出すと、佳樹はにこっと笑った。
あれ?この人・・・どこかで・・・・・・。
「さ、立ち話もなんだし、座れば?」
しばしばボーっとしていた栞は、進められた佳樹の隣りの席に、あわててペタンと座った。
髪の毛が長い栞は、座ると髪の先端が床に着いてしまう。
そんな栞をはさみ、右に佳樹、左に女の子。
そして、向かいの席に奈央と女の子が座っていた。
「んじゃあ、まずはカンパーイ」
待ちきれないのか、栞の隣りの女の子がジュースの入ったコップを持ち上げると、
他の4人もグラスを持ち上げた。
ジュースを一口飲むと、栞は隣りのショートカットの女の子から質問攻めになった。
「ねーねー、栞ちゃん。栞、でいいでしょ。私は沢崎かなみ。かなって呼んで」
「は、はぁ・・・」
すこしばかり早口でしゃべるかなみに、栞はちょっと押され気味。
「でね、栞は、なんでこんな天草に来たわけ?」
ここに来たわけ。
それは、栞の幼いころの記憶を取り戻すため。
事実、栞には幼いころの記憶がない。
小学校4年生くらいの時からの記憶ならあるのだが、3年生までの記憶が一切ない。
無理に思いだそうとしたら頭が痛くなってきて、なかなか思い出すことが出来ないのだ。
しかし、大掃除をしていたとき、両親が隠していた写真を1枚発見してしまったのだ。
それには「天草ドルフィンランド」と背後に書いてあり、
小学1年生くらいの栞と、両親がそこに映っていたのだ。
しかも、裏に「近くの水族館にて」と書いてある。
近く?
今住んでいるところは、広島県廿日市市だ。
そこから直線距離にしてもおよそ400km。
近く、とは言い難い。
とすれば、栞はもともと天草に住んでいたのではないか。
なので、少なからず天草に興味を抱いていた・・・・。
これが、何故天草に来たのかという理由。
だが、こんなことを言ってかなみに気を使わせないようにしようと思った栞は、
ただ、「柊くんたちが、来てみないかって言ったから」としか言わなかった。
それでもかなみは話しを止めず、彼氏はいるのか、好きな人はいるのか、
気になる人はいるのかなど、うわさ好きな女の子がまず聞きそうなことをかなみは聞いてくる。
だが、栞は1度も誰とも付き合ったことがないので、すべてNO。
栞の返事が期待していたものではなかったので、かなみは少しがっかりしている様子。
そんな中、「ちょっといいかな?」と向かいの奈央が話しかけてきた。
「ちょっと、こいつを紹介したいんだけど・・・」
と、奈央が隣りの女の子を指して言った。
その女の子は、かなみとは対照的に物静かで落ちついた雰囲気をかもし出している。
ちょとうつむいた感じと、胸まである髪の毛からもそれが伺える。
「あ、朝香このみ(あさか このみ)です・・・。よろしくです」
なんか、ちょっと小さな声で、男の子ならば守ってあげたくなるようなそんな感じだ。
そんなこのみに、隣りの奈央が小声で何かささやいた。
すると、このみの顔がぱーっと明るくなり、栞のことをじっと見つめた。
「あ、あの時の栞さんなんですかぁ。それならそうと・・・」
「このみ!それはまだ言うな。時期じゃないんだ」
ワット?
何なんですか?
奈央が止めたこのみの言葉の先には、一体どんな言葉が待っていたのだろう?
「さて、明日の予定はどうしようか・・・。」
そう言っていた佳樹の声は、栞の耳には届かなかった・・・。
====その2====
次の日。
栞は、芳樹達と奈央の兄が運転する車で、天草の色々な観光地へと案内してもらった。
天草・島原の乱の資料館である、切支丹館。
天草・島原の乱の時には、その川が赤く染まったという町山口川にかかる祗園橋。
本渡の歴史に関して知ることが出来る、歴史民族資料館など。
そして、最後に「ドルフィンワールド」。
ここについた時、栞はちょっとした頭痛がした。
ただ、たま〜にかかる頭痛と何ら変わりがないように思えたので、栞はべつだん気にはしなかった。
ところが、「ドルフィンワールド」の館内に入ったとたん、何故だか頭痛がひどくなった気がした。
それでも芳樹達といるこの時を楽しもうと、無理矢理笑顔を作ってごまかした。
ちょっとした水族館と売店を内を少し回ってみると、丁度イルカショーの時間となった。
L字型になった縦から入ってきて、横の所で見物するようになっているここは、
祭日だからか混んでいて、栞は芳樹と隣同士で座り、ほかの奈央達は別のところへと行ってしまった。
デニムのスカートのすそに気をつけながら栞が座ると、芳樹はさも当たり前と言うように隣りへと座る。
驚いた栞に、さらに芳樹は栞が驚くことを言った。
「栞…、気分がすぐれないのか…?」
「!!? ど、どうして…?」
驚く栞に、芳樹は優しい笑みを浮かべる。
「栞のことだったら、僕にはすぐわかるさ。ところで、大丈夫なのか?」
「栞ちゃん」から、いつのまにか「栞」と呼び捨てにされているにもかかわらず、
それに気づかないかのように栞は「大丈夫・・・。それより・・・」と、ぽつり、ぽつりとこれまでのことを話し出した。
不思議なもので、話し始めると関を切ったよう言葉がとまらない。
授業中の偶然でたまたま天草について調べることになったこと。
掃除のとき、たまたまここの場所の写真を見つけたこと。
ここに来てからかなり頭痛がすること。
順序はかなり違ったが、芳樹は最後まで聞いてくれた。
イルカショーに迷惑がかからないようにと、小さな声でだったけれど。
栞が丁度話し終わったときに、イルカショーは終盤を迎えていたようだ。
イルカがプールの周りを回って、せびれで「ばいばい」をしている。
それが、栞には古い自分へ別れを言っているのではないかと思えたのだった・・・。
芳樹達との観光は、かなり楽しかったなぁ〜と、ホテルに帰った栞は思った。
芳樹達と別れたのが午後6時前。
ベットに倒れてボーっとしていたら、30分が経過したようだ。
そろそろ夕食を食べに行こうと、1階に降りようとした時、備えつけの電話が鳴った。
「島崎様、鈴木様がお呼びでございます。フロントまでお越し下さい」
「は、はい・・・」